反転するセカイ

 

たとえば、自分が光の粒子とかになってシュワシュワと解けていき、どっかに転送されて、またどっかでシュワシュワと再結合していく感じ。

 

みたいだなーと感じたのでそのまま暫くそのシュワシュワを味わってみた。

その後、何かが変わったかというと、相変わらずの状態だし、特に何も?だなーと書きながらいっこ思い出した。

 

つい先日、自分がある集合意識の中に居ることを体感。

集合意識と自分とのリンクのキャッチとか、その意味を知る、というようなことはこれまでもあったけど、今回のはその受信角度?解析方法?が違うような感覚。

視る座標点が違うと、私の理解も別の角度でまた深まる。

これが変化だといえばそうかな。

 

そんなことを思いつつ、

やっぱり私は今の自分の状態が気に入らなくて、

そっちが気になって仕様がない気持ちを持て余していたらこんな返答がきた。

 

『調子がいいときもれば悪いときもあるものだよ、と思えばいい』

言うよりも、そもそもいい状態、悪い状態というレッテル貼りが無意味。

ほんっとに無意味だから。

 

 

なんだそうな。念押しされたし(笑)

 

これは、

今の私において「特に」という部分を多く含んだ返答。

 

これらはギミック。

君への仕掛けだよ。

 

だとさ。

 

 

 

そして、タイトルの反転するセカイのこと。

 

 

 

それは何気ない友達との一日の後に起こった。

 

よくある穏やかな午後、気になって仕様がなかった私の状態がぐるっとひっくり返った。

 

ほんのささやかな雑事でも息切れがするほどに敏感になっていた、

これまでに体験したことの無い程に扱い辛くなっていた『私自身』が、

それ以前の私ともまた少し違うバランスの中へと入っていた。

 

衝撃的ではなく、むしろ、テーブルの上のコップを少し右にずらしたくらいのさり気なさで、私のセカイはひっくり返っていた。

 

この「衝撃的」か「さりげない」かの違いは、動画を標準再生で見ているのか、スロー再生かチャプターで飛んで見てるかの違いなだけかもしれないな。

 

チャプターで飛んでれば、それは突然で衝撃的であり、

スロー再生であれば、その変化もつぶさに見ているから、ともすれば気づかない。

 

 

そしてこの「反転」

これはやっぱり仕掛けの効果、だよね?

 

何回仕掛けられても毎回趣向が違うから、なかなか慣れたようで慣れまへんな。